わたしのふところに、戻っておいで
クリスチャンらしいとは?
(創世記13章1~4節から)
私たちはしばしば、愚かなふるまい、弱さをさらけ出します。大切なのはその後です。神の愛を信じ、神の子とされているクリスチャンにふさわしいふるまいがあります。
「らしくない」ふるまい
「あの人が悪い、この人が悪い、環境が悪い、仕方がなかった」と自分以外の誰かのせいにすること。自分を恥じたり、責めたり、嫌悪感を抱き落ち込んでしまうこと。あるいは反省して次は頑張るぞと決意を新たにすること。もしこれらのこと「だけ」で終わってしまうならクリスチャンらしくないと言えます。
自己弁護も自己正当化も新たな決意も、誤った行いとその結果の重荷から解放されることはありません。それは、私たちを愛し導こうとする神の御手を振りほどこうとする、神の愛に背を向けたふるまいです。
「らしい」ふるまいとは
「あなたはそこで何をしているのか」、「あなたはわたしの愛する子、わたしのもとに帰ってきなさい」、と呼びかけておられる神のもとに一目散に帰り、神の前で、弱さ、愚かさ、至らなさを素直に告白し、赦しと導きを求めること、それがクリスチャンらしいふるまいです。神は喜んで祈りに応えてくださいます。
私たちは、神の愛、イエス・キリストの十字架の犠牲によって、行いではなく信仰によって救われました。信じる者は神の子として神に手を握られ導かれていることを思い出しましょう。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 (ヨハネの手紙 第1 1章9節)