ずっと私の羊飼い
2018/03/07 16:27 ASUS ZenFone2 laser
牧師館の庭の椿の花がきれいに咲いていた。
写真のみことばは、ヤコブの生涯の最後の言葉です。ヤコブは決して清廉潔白な人物とは言えません。弱みにつけ込み、騙し騙され、仕返しを恐れ、子どもたちの罪深い姿に自分の過去を示される。そのような人生を歩みました。彼の最後の言葉は、このように始まります。(創世記48章15、16節)
私の先祖アブラハムとイサクが、
その前を歩んだ神よ。
今日のこの日まで、
ずっと私の羊飼いであられた神よ。
すべてのわざわいから私を贖われた御使いが、
この子どもたちを祝福してくださいますように。
私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、
彼らのうちに受け継がれますように。
また、彼らが地のただ中で
豊かに増えますように。
7、8行目の「私の名が」、「受け継がれますように」。自分の立派さや業績を誇り、それがいつまでも人々の心に残りますようにと、彼は願っているのでしょうか。いいえ、違います。まことの神を知り、神の愛を知った信仰者が願うのは唯一つ。このような罪人をも見放さず導いて下さった神が誉め讃えられますようにということです。私の名が語られるならば、必ず羊飼いとしての神の慈愛が語られますように。それを聞いた人々の心に同じ信仰・生き方が「受け継がれますように」「あなたの最高の幸せは、まことの神を真の羊飼いとすること」ですよ。彼はこれを自分にできる最高の祝福の言葉として残しているのです。