「S先生のこと」(新宿書房)

2016年1月頃、図書館の新規購入の棚に、尾崎俊介著「S先生のこと」という本があった。拾い読みすると、教会での葬儀、ヨブ記のことが書かれていたので借りて帰った。

著者も、また取り上げられているS先生こと須山静夫氏のことも何も知らなかったが、読み進むうちにどんどん引き込まれていき、とうとう、その日のうちに読んでしまった。そして、フラナリー・オコナーのことを知る。

この本は、著者(尾崎俊介氏)が慶応大学で英文学を学んでいたときに、たまたま須山教授の授業を取り、その後の25年間の交友を綴ったものである。

読んでいて、すがすがしい。S先生に対する著者の敬愛、敬慕の思いが、何とも言えない文章を通して伝わってくる。こんな出会いがあり、こういう人間関係を築けるなんて、「いいな、いいな」と思いながら読んだ。

須山教授は、2011年に85歳で亡くなられる。生涯を通して、最初の妻の病死、長男の交通事故死のことをずっと問い続ける。親戚、家族にクリスチャンが多かった。長男を亡くされた時から聖書研究を始め、とくにヨブ記に惹かれる。80歳で受洗。

2018年4月再読

古本を手に入れて再読。何度も読むわけではないが手元に置いておきたい本。やっぱりいい。やっぱりステキな・すてきな・素敵な本。(p198参照) ひとりの人間をここまで敬慕できるのかという驚きに満ちた本。爽やか。

話題・抜粋

フラナリー・オコナーの小説を書く姿勢(p49)、CLC(p89)、ヨブ記13章15節(p93~98)、白洲次郎(p116)、60歳でヘブル語、70歳でギリシャ語を学び始める(p126)、別れの涙(p131)、聖書の輪読(p136)、誤訳、飛田茂雄(p159)、ステキな・すてきな・素敵なお手紙(p198)、受洗(p236)、聖書講義(p238)、

しかし、それでも私は、その牧師さんに向かって、何かひと言、言ってやりたい気がして仕方がないのです。(p241)

著者によるフラナリー・オコナーの文章の引用 (p47)

子どもの苦しみをもって、神の善を疑うのが現代の傾向の一つである。そして、一旦、神の善への不信に陥れば、その人と神の関係は断たれるのだ。(中略)イワン・カラマーゾフは、子どもの一人でも苦しんでいるかぎり神を信じられない。カミュの主人公は、罪のない幼児が大虐殺のめにあうという事態がある以上、キリストの神性を受け入れることはできない。この種の、人々に受け入れられ易い現代的な憐れみの情に流されれば、われわれは、感受性の面で得るところはあるだろうが、確実に視力は落ちる。もし過去の時代が、感情的反応において劣っていたとしても、あの時代の目はもっと見たのである。盲目的に一途で、感傷を排した、預言者的な、受容の目、それはとりもなおさず信仰の目であるが、これでもって見たのである。現代には、この意味の信仰がないから、ただ優しさだけが支配的である。それは、長いことキリストのペルソナから切り離されて、理論でがんじがらめになった優しさである。優しさが、優しさの源とのつながりを断ち切られたりすれば、論理的に行きつく先は恐怖である。それは、強制労働収容所やガス室の煙となって終わるのだ。(フラナリー・オコナー『秘技と習俗』、上杉明訳、春秋社、1982年、215頁、を一部改訳)

先に引用したフラナリー・オコナーの文章に対する著者自身によるコメント (p48)

感傷的な優しさでもって世界を見れば、至るところに許しがたい悪がはびこり、正義や道徳が蹂躙されている。その不条理をただ悲しみ、絶望するならば、この世に生きる意味はなくなる。生きる意味がなくなれば、善をなす意味もなくなり、他の人間への配慮もなくなって、好き勝手に自分の利益だけを追求して一生を終わればいい、ということになる。(一部略)

そして、オコナーの凄いところは、この「信仰の目」でもって自分自身をも見たというところにあります。確かに自分は死病に取り憑かれた、しかし、そのことが何か特別な不運と言えるだろうか?早世を運命づけられたことの悲しみよりも、そもそも自分は何故生まれたのか、そのことの意味を問う。それがオコナーの人生観であり、それは絶望ではなく、希望を見ることに他ならない。

S先生の最初の妻になる、さちさん、へのラブレターの一部 (p204)

(著者、尾崎氏が須山静夫著「黒染めに咲け」から引用したもの)

お手紙有難う。毎日うちに帰って来るとき、あなたのお手紙を期待してゐる。そして、それがない日が続くとき、私は惨めな気持ちになってしまふ。ウィークエンドに一回会ふだけで、あとは暗いウィークデイの連続。あなたを力一杯抱擁したいと思ふ。こんな感情は動物的だとあなたは嫌悪するだろうか。軽蔑すべきものだろうか。私はあなたと一つになってしまひたい。人間は究極において孤独であるといふ考えが私を支配してきた。父が死んだとき、そして母が死んだとき、私は悲しかった。しかし、その悲しさは次第に薄くなって行く。これは人間の授かった不思議な賜物だ。これは有難いことだ。さうでなければ、我々の生は悲哀で一杯になってしまふ。

しかし、悲しいことは、本当はこの悲しさを忘れて行くといふこと自体にある。人の死の悲しみを忘れることができるといふことは、人間が孤独だといふことに他ならない。親子、兄弟でも、詮じつめれば互ひに対立してゐる人間に過ぎない。あなたも私と対立してゐる人間だろうか。さうであると思ふことは悲しいことだ。抱きしめても離れてゐる人間だろうか。

病床の妻さちさんの傍らで (p219,220)

(著者、尾崎氏が須山静夫著「黒染めに咲け」から引用したもの)

一年七か月の戦い。私の耳には、さち子の泣いた声、呻いた声、そして、途中で退院をゆるされたときの、つつましい歓びの声が、一つの、消えることのない歌の調べとなって、遠くに響いている。よく戦った。痩せ衰えた体で、よく耐え忍んだ。戦いは、長い嵐のように過ぎ去った。

朝からもう十時間、静かに静かに生きている。生きている。私は、このような生は意味がない、とさっきまで思っていた。しかし今は、そうは思わない。あのような激しい、長い苦しみのあとで、たとえ無意識でもいい。このような静かな生きかたがあってよい。なくてはならない。長ければ長いほどよい。もう手足を動かしたり寝返りを打ったりする必要もない。背中も痛くない。のども痛くない。鼻の穴も痛くない。鎮痛剤の必要もない。注射のあとも痛くない。水を欲しがらなくてもよい。戦いに敗れたあとの平和な、平穏な生だ。

はげしい呼吸にのどを鳴らさなくてもよい。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、この静かな生を楽しんでくれ。楽しもうとする欲望--それもなくてよい。

君の魂は、もう天上の国に着こうとしているところかもしれない。窓のそとの小雨はやんだ。四時二十分。夕暮れが近づいてくる。しかし、今、君のいるところには、光が満ちているだろう。かつて君が記憶によって私に書き送ったトマス・ムーアの詩にうたわれた光だ。「去りし日の 明るき光 わが枕べに」