(創世記12章10~20節より)

人間が作り出す神観・宗教観

多くの人々は生まれ育った環境を通して、誤った神観を植え付けられています。

その典型例、「その頃は、家の中もバラバラで、自分の内側にも憎しみや不安がいっぱいあって、心の汚い自分にはキリスト教なんて無理」、「辛いことや悪いことは因果応報で、神様は裁きの神だと思っていました」。

どうしてこう考えるのか。それは人間が作り出した神観、宗教観の影響を受けているからです。

自分の知恵や力で身を守ろうとして偽りを語る

アブラムは試練に出会った時、神に信頼するよりは自分の知恵と力で切り抜けようとひどいウソをつきました。それにより多くの人々を混乱に落とし入れました。神が介入された結果、アブラムは無事に試練を乗り越えることが出来ましたが、その過程で彼はみっともない自分の姿をさらけ出し恥ずかしい思いをしました。

神はそのようなアブラムを見捨てたでしょうか

神はそのようなアブラムに信仰者失格の烙印を押さず、もう一度約束の地に戻るように導かれました。目の前の状況にとらわれることなく、神の約束を信頼していいのだと少しずつ確信を深めることができるようにされたのです。

罪人を愛し導こうとされる神

人は、自分は同じような失敗をしたこともなければ、考えたこともないかのような顔をして他人を厳しく責めます。しかしイエス様は愚かな者、汚れた者、みっともない失敗を繰り返す者、つまり私たちを愛し、共にいることを選ばれました。この方こそ、まことの神なのです。

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。  (新約聖書 マタイ 9章13節)